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詩について

僕は電車の移動時間に、本を読むのです。
最近では、宮沢賢治とか、宮台真司とか民法とか、読んでいるのです。
(どうでも良いですが、最初に「み」がつくのです。)

宮沢賢治の詩は、きたなくて、きれいで、たまに息を呑むほど美しいです。
詩っていうのは、あまり、熱心に読んだことがなかったのです。
今も、熱心には読んでいないのです。
昼も夜も詩の内容が頭から離れないってことが今まで一度だってありません。
むしろ内容なんて一切頭に入って来ません。
それなのに、僕は詩を読んだりします。
なぜか?

僕が思うに、詩っていうのは、集中を拒む性質があるようです。
言葉は僕の意識を本の中ではなく、本の外にはねかえすようです。
読者の意識を本の外へ散らす事によって、その散った意識の放浪先で、何か面白いものを見つけて来るんだ!と、そう詩はいっている気がします。

だから、詩がなくても、詩を読んでるときのように自由に意識を散らすことが出来れば、詩なんて必要ないんじゃない?って思うけど、なかなか人間そんなにうまくは行かないから、詩のきっかけを借りて、飛んでおきましょう。
そこは、あまり意地を張らずに飛ばせてもらっときましょう。

音楽の中では弾き語りっていうのも、そういう性質があるような気がしますけど、どうなんでしょうか。
インストのほうがもっと強いのかな?
さぁ、分からなくなってきました。

よしおか
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[ 2009/03/25 22:10 ] Diary Memo | TB(-) | CM(-)


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