超地面から湧きあがる 非公文式ホームページ TOP  >  スポンサー広告 >  Diary Memo >  ↓ていせい

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

↓ていせい

下の文章で「足りない部分は想像力で補うようなやりとりのスタンスが浪漫チックで・・。」と書きましたが、さっき川で練習しながら、違う気がしてきました。

弾き語りは音数の足りない分、想像力でアレンジを補って聴くのも楽しいんじゃないかという軽い意味で書きました。それも良いのですが、どうも違和感があります。

やっぱり、想像じゃなくて、現実(の音)のみにコミットメントするしかないように思います。
想像したらそこで自己完結してしまうように思います。(それで良い方は、もちろんそれで良いです。)
現実にのみ可能性があるが、現実はどうしようもないほどショボい。
ここに断念が生じる。

プレイヤーとしては音楽に接する際、現実をより良くしようと挑戦→断念→挑戦→断念の繰り返す。
その中でしか前に進むことは出来ない。そしてそれは誰もが同じ。
いや、たとえもう前に進めないと分かっていても挑戦→断念→挑戦→断念の繰り返しの行為の中でしか、生は輝かないのではないかという考え方です。
まともに生きれば、まともじゃなくなる生の矛盾に対する、挑戦と断念の限りない繰り返し。
それは正直きつい、しかしそうするしかない。
まさに浪漫チック。

いやー話が大きくなってしまいました。
最後は宇宙のはじまりまでいって無気力になって終わるんですかね。

要するに想像じゃなくて、現実の音にしっかり喰らいついて行きたいという自分の意思表明でした。
プレイヤー側の視座かもしれませんが、突き詰めるとリスナーも同じだと思います。
でもそこまで考えなくても良い気がしてきました。
僕が勝手にそうしたいだけです。
変な奴でごめんなさい!
ナイスデイ!

よしおか
スポンサーサイト
[ 2009/08/18 23:51 ] Diary Memo | TB(-) | CM(-)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。