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音楽による徳育の期待と難しさ

明日はライブです。

僕は人に何を与えられるかと、考えるのですが
これがなかなかに難しくて、少なくとも実感がない。

人を楽しませたり、笑わせたり、幸せに出来る人は凄い人だと思います。
凄い人が本気出すところはみんな観たいだろ?
俺はめっちゃ見たいぞ!

音楽とか芸術で出来る一番凄いことって、結局のところ体験後いわゆる「景色が変わって見える」ことだと思います。
楽観と悲観の両方の意味で言っていますが。
もちろんその時だけ、とことん楽しいっていう消費活動もサイコーだと思います。

僕も最近では本気で言うし、ゆるぎない気持ちでやっている。
そしてそれを表現するためのスキルも自分なりに研究して磨く。
やっとそういう段階にやってきた感じだ。遅かったな。
音楽それ自体が表現であり、純粋に良い音楽を作りたいとも思う。
反面、音楽は本当に表現したい観念のための単なるひとつの道具で、別に有効ならば何でも良いとも思う。
本当に表現したい観念っていうのは突き詰めると良く分からないのであるけど、衝動かもしれない。
結局は最初に衝動があって、それを波動や言葉や情念にして相手の表面に送り込む事はだれでも可能だ。
それを受けて相手の内側が良いように感化されるのを期待するだけだ。

教育の徳育、知育、体育のうち僕が音楽に期待したいのは徳育だ。
しかしこれがまた音楽をもってしても非常にむずい!
発信者の内側から表面を経て出て来たものが、相手の表面に当たり、相手が解釈する。
例えば、僕が相手に元気に生きて欲しいなと思って「元気だせよ」と言う。その言葉を相手が理解したところで、相手の元気が出るかどうかはまた別の話だ。
僕が、とことん不健全な醜態をさらす事で、相手が、身も心も元気になることだってありうる。
つまり、きっかけなのだ。
良くなるきっかけかもしれないし、悪くなるきっかけかもしれない。
でもきっかけになるパワーを放出しやすいという点で、徳育に対して音楽は期待出来る手法だと思います。
特にライブは内容も詰まっているし、安価で体感できますから良いですね。(だから来て下さいね。)

ちょっと僕が偉そうに語っているように聞こえますか。
逆ですからね。若干打ちひしがれています。

今のところ、できそうなことはほんの少しですので、それをやるしかない!

よしおか
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[ 2010/01/10 00:00 ] Essay | TB(-) | CM(0)
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